1951年にイタリアで生まれ、1969年に日本に渡り、現在では100%国内でデザイン・製造。日本人の体型や暮らしにフィットする家具を提案しているアルフレックス。MARENCO(マレンコ)やA・SOFA(エー・ソファ)など、いくつものロングセラーを生み出してきました。
前回のインタビューでは、アルフレックスの家具のデザイン性、継承性、そしてファブリックの端切れでエコバッグやファーストシューズキットをつくるなど、社会的意義のある取り組みについておうかがいしました。
後編では、保科社長ご自身についてもう少しお聞きしたいと思います。
アルフレックスに憧れて、デザイナーを目指した少年時代
―――お父さまで顧問の保科正さんが1969年に創業したのが、アルフレックスジャパン。当時のことを覚えていらっしゃいますか?
保科社長
イタリアにいたころ、僕はまだ3歳でした。だからほとんど覚えていないんですよ。父の仕事面でよく覚えているのは、帰国して父がアルフレックスジャパンを始めたころ。70年代くらいですね。
当時は青山の一等地、ヴァンジャケットの1Fに店舗があって。小学生くらいのころはちょくちょく遊びに行ってました。とてもかっこいいお店だったんですよね。 お店もそうだし、働いてる人もすごくスタイリッシュだった。
(写真:イタリアの自宅にて。父の保科正さんとともに)
当時はアイビーブームを巻き起こし、大きなカルチャーをつくっていたVANの子会社ということもあり、ファッションとデザインが好きな方がアルフレックスに集まっていたんです。
(写真:1960年代のミラノのarflexのショールームにて。父の保科正さんとともに)
扱っているものも輸入家具が多かったし、当時流行していたサイケデリックな生地のソファがあったり。とにかく置いてある家具が、ほかの家具屋さんとはまったく違っていたんです。店の雰囲気・製品・人、すべてが新鮮で…。父の跡を継ぐとかは関係なく「大きくなったら絶対にここで働こう」と思ってました。
それからはずっとデザイナーを目指していました。美術も習っていましたし、テスト用紙の裏にデザイン画を描いたりなんかして。中学3年生まではデザイナー志望でしたね。
―――そうだったんですか。中学3年生のときに、一体何があったんでしょうか…。
保科社長
進路を決めるとき、父の会社に相談に行ったんです。そしたら「世の中に優秀なデザイナーはいっぱいいるからやめたほうがいいよ。経営者になったほうがいい。時代が変わっても続けていけるから」と言われて。相当ショックを受けましたよ(笑)
でもその頃は“原宿で石を投げれば建築家かデザイナーにあたる”という時代。くやしいけど納得しました。
そこから文系を選考し、大学で商学部に進み、ビジネスの仕組みを学びました。今でも建築とかデザインは好きですよ。でも、結果的にはこちらの道を選んでよかったと思っています。
アルフレックスの”あたたかく家庭的な雰囲気”を守りたい
―――保科社長が入社されてからはバブル崩壊やリーマンショックなどさまざまなことが起こりました。組織をスリム化したり、生産システムをマーケットイン(マーケティングを重視して製品開発する)に変えるなど、たくさんの施策を行ってきたそうですね。
しかしアルフレックスの場合は、”守るもの”も随分多かったのではないでしょうか。お父さまが築かれた伝統やブランドを守るために、どんなことをしてきましたか?
保科社長
父は時代を駆け抜けてきた人なんですが…そんな父にいつも口酸っぱく言われていることがあります。「困ったことがあっても回り道をしないで、道の真ん中を正々堂々と行け。たとえ上手くいっても、謙虚でいろ」と。
アルフレックスにも苦しい時が何度かあって、そのときにたくさんの方に助けていただいたんです。それは、『真面目に、情熱を持って成し遂げよう』という気持ちがあって、それが周りに伝わるから助けてもらえるわけで。ですから「謙虚であれ」が、今でも社是のようになっています。
それとともに、父が築いてきたアルフレックスの”あたたかく家庭的な雰囲気”を守りたいと思います。会社やお店がそうした空気をまとっていれば、時代が大きく変わったとしても、揺るがずにいられるんじゃないかなと。
―――実は前々から、アルフレックスのスタッフのみなさんがとても親しみやすいことを意外に思っていたんですが….。もちろんいい意味でです。それをうかがって、ものすごく納得しました。
『家具を替えると家がこんなに変わる』ということを証明したい
―――クラフトはリノベーション会社ですので、お住まいのこともちょっとお聞きしてよいでしょうか。
保科社長
もちろんです。どうぞ。
―――保科社長はどんなお住まいで暮らしていらっしゃるんですか? 気になります。
保科社長
今住んでいるのはヴィンテージマンションです。
家具はすべてアルフレックスと、当社が扱うブランドのもの。新作が毎年出るから、2~3年ごとに家具を変えるんです。モルテーニの収納は壁にキズをつけずに設置できますからいいんですよね。「家具を替えると家がこんなに変わるんだよ」ということを、遊びにきた友達や社員に証明しています。
―――保科社長自ら、モニターとなっていらっしゃるんですね。
保科社長
はい。そのかわり自分の好きな家具ばかりは選べません。最新作や試作品が中心です。でもオフィスで試すより、家で実際に使ってみる方が気づくことがたくさんありますね。家でリラックスして椅子に座っていると、「仕上げは変えた方がいいかも」とか「納め方をこうしたらどうかな」とか。
―――家具は暮らしのなかで使ってこそ、気付くことがあるんですね。
保科社長
私の住まいは、プライベートとオフィシャルが交差する場所なんですよね。もちろんくつろげるし、大好きな場所なんですけど…。でも『これは使える!』なんて、つい仕事のことを考えてしまいます。
みなさんもそうだと思うんですが、僕も家ではほとんどの時間をソファやダイニングで過ごしています。どんなにかっこよくてキレイな家でも、家具がなければくつろげない。家具があってはじめて、住まいとして完成する。『家具は家そのもの』といってもいいんじゃないでしょうか。
中学生のころから使っていたソファは、今でも近いところに
―――保科社長がずっと使い続けている家具はありますか?
保科社長
たとえばNTは、もう30年以上も使っています。あとは出張している家具がいくつかあって。
たとえば僕が中学生のころ、父が試作品として持ち帰ったソファ。大学で1人暮らしになるときにもらって、それからもずっと使っていて、結婚して買い替えるときにきれいにメンテナンスして、妻の実家に預けました。それから何度もメンテナンスを繰り返して、今でも使っていただいています。
これが一番長い付き合いかもしれません。とても大切な存在です。
まとめ
保科社長と話していると、すこし不思議な気分になりました。森の中の小さなホテルに迎えられたような、”心地よさ”と”親しみやすさ”を感じるからです。それは『家具が好きなあまりに、意図せず組織が大きくなってしまった』という印象さえ与えます。
「メンテナンスをしながら、子どもたちに受け継いでいけるような家具をつくりたい」と話す保科社長。家具を”使い捨てる”のではなく、”受け継ぐ”。これは”壊す”のではなく、”活かす”といったリノベーションと共通するものがあるかもしれません。
保科社長の混じりけのない純粋な想い。まるで深呼吸するように、すがすがしい気持ちで聞くことができました。
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「イタリア生まれ、日本育ち」のオリジナル家具ブランド〈アルフレックス〉をはじめ、イタリアのMolteni&C(モルテーニ)、Dada(ダーダ)、Riva1920(リーヴァ)、RODA(ロダ)5つのブランドを展開。家具は生活の道具と考え、お客様の生活に寄り添い、長く安心して使える家具と、心豊かに暮らすためのライフスタイルを提案している。